朝日新聞 天声人語から・・・
<1月22日>
美しすぎる情景は、時に心を乱すものらしい。
〈桜の樹の下には屍体(したい)が埋まっている! これは信じていいことなんだよ。
何故(なぜ)って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか〉。
梶井基次郎の短編小説「桜の樹の下には」の冒頭だ。
実際、墓石に代えて木を植える弔い方がある。
やや神秘めくが、故人が使い残した精気のようなものが幹の中をはい上がり、葉を茂らせ、花や実をつける。
そう考えれば、四季の営みもいとおしい。夭折(ようせつ)の墓ほど樹勢は強かろう。
命を自然に返すという点で、散骨にも通じる「樹木葬」。
10年ほど前に岩手県のお寺で始まり、全国の民間霊園などに広まった。
墓地不足に悩む東京都が、数年内に都の霊園に導入するそうだ。
民間より安い都立霊園は人気があり、今年度の公募は平均12倍の狭き門だった。
都内では年に2万基の墓が新たに必要なのに、民間を含む供給はその3割にとどまるという。
木の周りに何人かの遺骨を埋葬すれば、土地を有効に使え、緑化も進む。
都会では後継ぎのない人が増え、地方には世話をする人のいない墓も多い。
「先祖代々」に入りたくない人もいる。
慰霊の役目を木に、つまり地球に託すと思えば、墓を「守る」気苦労は幾らか軽くなろう。
石でも木でも、その前で合掌する行為が形ばかりでは、墓参りする意味がない。
大切なのは愛する人をしのぶ装置ではなく、しのぶ心である。
墓を持たない選択を含め、弔いの多様化はごく自然な流れといえる。
思い出の温め方は、人それぞれでいい。
<2月7日>
本欄へのご感想の中には、ただ黙するしかないようなものがある。
埋葬地に木を植える「樹木葬」を取り上げた過日の小文にも、そのようなお便りをいただいた。
「いつ折れるとも知れない心を老夫婦で支え合いながら、娘のために樹木葬の適地を探しています」。
次女を34歳で亡くしたばかりのご夫婦からだった。
乳がんの告知からわずか1年半。夫と、告知の直後に生まれた男児が残された。
遺言めいたメモには、病のため震える字で家族葬の希望と、お墓にはオリーブかローズマリーを植えてほしいとあったそうだ。
若い人ほど木の勢いは強かろうと書いた小欄を、励ましと受け止めていただいた。
偶然に言葉もない。
ご連絡すると、お二人は乳がん撲滅への願いを静かに語られた。
同じ34歳で逝った女性を悼む歌がある。小学生の姉妹の親でもあった。
〈遺児ふたり長き髪もつ明日よりは母に代わりて誰が結ばむ〉羽場百合子。
作者は朝日歌壇にも入選を重ねた元教師で、弱き者を思いやる歌風が際立つ。
どんな死も悲しいけれど、若い母親のそれは切ない。お母さんは風になり木になって、わが子に声援を送り続ける。
他の母親より少し短い、真珠のような思い出を抱きしめながら。
乳がんに侵された先の女性は、幼子にも走り書きを残していた。
〈男の子はやさしくなければいけません。まわりの人の言うことをよくきいて。
いっぱいおでかけにつれていってもらうんだよ。本もいっぱいよんで、音楽もいっぱいきいて……〉。
連なる「いっぱい」に、母性の叫びを聴く。
<5月7日>
近所のハナミズキは連休中に花の極みを迎えた。
街路樹には白が多いが、たまに薄紅の花をつける木を見る。
立夏を過ぎて緑まぶしい季節。生まれくる白い命とすれ違い、記憶の中へと帰る薄紅のそれがある
2月の小欄にて34歳で乳がんに倒れた女性を書いた。
遺志である「樹木葬」の適地を探し歩き、やっと地元に見つけましたと、ご両親のお便りにある。
茨城県内で営まれた埋葬祭に参列した
どうした縁か、故人の姓名は漢字4字とも草木にかかわる。
ふさわしい新緑の中に50人ほどが集まった。木を植える穴に、痛いほど白い遺骨。
夫に続いて皆が土を入れていく。もうすぐ2歳の長男もシャベルを握ったが、あとは土いじりに興じていた
墓標の木を囲むのは、故人が望んだローズマリーだ。
南欧原産で地中海を望む丘に生えるからか、学名にあるロスマリヌスは「海のしずく」の意味という。
葉は香料になり、ほぼ四季を通して淡青の花をつける。
花言葉は〈追憶〉と聞いた
人を思うと書いて、偲(しの)ぶ。
娘であり妻であり、母である人の面影は、可憐(かれん)な花や涼しげな香りが呼び戻すだろう。
彼女は宝飾デザイナーとして、乳がんと闘う「ピンクリボン運動」のピンバッジにも生きた証しを残した
若い人は若いまま、記憶の中で生きていく。
心から消える時が本当の死ともいう。
使った命を確かめる写真と、使い残した命を受け継ぐ木。
ともに愛(いと)しい人を消さぬ知恵である。
なるほど、漢字の縁と緑は双子のよう。
一面識もない方を、これほど近くに感じたことはない。
ずっと、心にとめておきたかったので、ブログに載せました。
<1月22日>
美しすぎる情景は、時に心を乱すものらしい。
〈桜の樹の下には屍体(したい)が埋まっている! これは信じていいことなんだよ。
何故(なぜ)って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか〉。
梶井基次郎の短編小説「桜の樹の下には」の冒頭だ。
実際、墓石に代えて木を植える弔い方がある。
やや神秘めくが、故人が使い残した精気のようなものが幹の中をはい上がり、葉を茂らせ、花や実をつける。
そう考えれば、四季の営みもいとおしい。夭折(ようせつ)の墓ほど樹勢は強かろう。
命を自然に返すという点で、散骨にも通じる「樹木葬」。
10年ほど前に岩手県のお寺で始まり、全国の民間霊園などに広まった。
墓地不足に悩む東京都が、数年内に都の霊園に導入するそうだ。
民間より安い都立霊園は人気があり、今年度の公募は平均12倍の狭き門だった。
都内では年に2万基の墓が新たに必要なのに、民間を含む供給はその3割にとどまるという。
木の周りに何人かの遺骨を埋葬すれば、土地を有効に使え、緑化も進む。
都会では後継ぎのない人が増え、地方には世話をする人のいない墓も多い。
「先祖代々」に入りたくない人もいる。
慰霊の役目を木に、つまり地球に託すと思えば、墓を「守る」気苦労は幾らか軽くなろう。
石でも木でも、その前で合掌する行為が形ばかりでは、墓参りする意味がない。
大切なのは愛する人をしのぶ装置ではなく、しのぶ心である。
墓を持たない選択を含め、弔いの多様化はごく自然な流れといえる。
思い出の温め方は、人それぞれでいい。
<2月7日>
本欄へのご感想の中には、ただ黙するしかないようなものがある。
埋葬地に木を植える「樹木葬」を取り上げた過日の小文にも、そのようなお便りをいただいた。
「いつ折れるとも知れない心を老夫婦で支え合いながら、娘のために樹木葬の適地を探しています」。
次女を34歳で亡くしたばかりのご夫婦からだった。
乳がんの告知からわずか1年半。夫と、告知の直後に生まれた男児が残された。
遺言めいたメモには、病のため震える字で家族葬の希望と、お墓にはオリーブかローズマリーを植えてほしいとあったそうだ。
若い人ほど木の勢いは強かろうと書いた小欄を、励ましと受け止めていただいた。
偶然に言葉もない。
ご連絡すると、お二人は乳がん撲滅への願いを静かに語られた。
同じ34歳で逝った女性を悼む歌がある。小学生の姉妹の親でもあった。
〈遺児ふたり長き髪もつ明日よりは母に代わりて誰が結ばむ〉羽場百合子。
作者は朝日歌壇にも入選を重ねた元教師で、弱き者を思いやる歌風が際立つ。
どんな死も悲しいけれど、若い母親のそれは切ない。お母さんは風になり木になって、わが子に声援を送り続ける。
他の母親より少し短い、真珠のような思い出を抱きしめながら。
乳がんに侵された先の女性は、幼子にも走り書きを残していた。
〈男の子はやさしくなければいけません。まわりの人の言うことをよくきいて。
いっぱいおでかけにつれていってもらうんだよ。本もいっぱいよんで、音楽もいっぱいきいて……〉。
連なる「いっぱい」に、母性の叫びを聴く。
<5月7日>
近所のハナミズキは連休中に花の極みを迎えた。
街路樹には白が多いが、たまに薄紅の花をつける木を見る。
立夏を過ぎて緑まぶしい季節。生まれくる白い命とすれ違い、記憶の中へと帰る薄紅のそれがある
2月の小欄にて34歳で乳がんに倒れた女性を書いた。
遺志である「樹木葬」の適地を探し歩き、やっと地元に見つけましたと、ご両親のお便りにある。
茨城県内で営まれた埋葬祭に参列した
どうした縁か、故人の姓名は漢字4字とも草木にかかわる。
ふさわしい新緑の中に50人ほどが集まった。木を植える穴に、痛いほど白い遺骨。
夫に続いて皆が土を入れていく。もうすぐ2歳の長男もシャベルを握ったが、あとは土いじりに興じていた
墓標の木を囲むのは、故人が望んだローズマリーだ。
南欧原産で地中海を望む丘に生えるからか、学名にあるロスマリヌスは「海のしずく」の意味という。
葉は香料になり、ほぼ四季を通して淡青の花をつける。
花言葉は〈追憶〉と聞いた
人を思うと書いて、偲(しの)ぶ。
娘であり妻であり、母である人の面影は、可憐(かれん)な花や涼しげな香りが呼び戻すだろう。
彼女は宝飾デザイナーとして、乳がんと闘う「ピンクリボン運動」のピンバッジにも生きた証しを残した
若い人は若いまま、記憶の中で生きていく。
心から消える時が本当の死ともいう。
使った命を確かめる写真と、使い残した命を受け継ぐ木。
ともに愛(いと)しい人を消さぬ知恵である。
なるほど、漢字の縁と緑は双子のよう。
一面識もない方を、これほど近くに感じたことはない。
ずっと、心にとめておきたかったので、ブログに載せました。